『アバター:火と灰』、灰色のパンドラで描かれる家族とアイデンティティのジレンマ

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『アバター:火と灰』、灰色のパンドラで描かれる家族とアイデンティティのジレンマ

Eunji Choi · 2025年12月17日 0:09

青い海を越え、今度は「火と灰」の世界へ。映画『アバター:火と灰』は、火山地帯と灰色の大地を舞台にパンドラの別の顔を露わにし、シリーズのスペクタクルを一層拡張させる。

映画は、ネテヤムをそれぞれの方法で追悼するサリー一家の場面から始まる。次男のロアークは、祖先の木を通して兄と交感し、肉体は失われても魂はパンドラと共に生き続けるというナヴィ族の世界観は、死を断絶ではなく「繋がり」として捉える。

一方、ネイティリは依然として悲しみの中にいる。ジェイクは、そんな妻を見守りながら、家族のリーダーとして中心を 잡(つか) ねばならない新たな責任を負う。

映画の序盤、ジェイクは人間の少年スパイダーをメトカイナ族に託すことを決める。パンドラで生まれ、人間の体で生きるスパイダーは、常に「境界に立つ存在」だ。彼はナヴィ族でもなく、完全な人間でもない。

この選択は、スパイダーを保護するための決定であると同時に、自分の家族を脅かす可能性のある存在を共同体の外へ押し出す行為でもある。家族を守るために、家族同然の誰かを見送らねばならないジェイクのジレンマは、『アバター』シリーズが一貫して問い続けてきた家族愛の問いを再び想起させる。

しかし、この計画はヴァラン率いる灰の部族の襲撃によって崩壊し、サリー一家は再び生存をかけた危機に直面する。「灰の部族」は、これまでのシリーズが見せてきた自然との調和した共存とは一線を画す存在だ。火山地帯と灰色の大地を根城とする彼らは、火と破壊のイメージを前面に押し出し、それを「最も純粋な存在」として崇拝する。

だが、灰の部族はクオリッチ大佐との出会いを経て変化の道を歩み始める。「空の人々」(地球人)が使う銃器、すなわち作られた金属を手にすることで、彼らが信奉していた純粋性は徐々に損なわれていく。これは、パンドラの部族たちがなぜ空の人々を憎むのかを明確に示唆すると同時に、文明によって破壊される自然を象徴的に表現している。

『アバター:火と灰』は、このような叙事的な葛藤を圧倒的なビジュアルで推し進める。ジェームズ・キャメロン監督は、水の Світ (世界) を中心とした前作に続き、今回は火山地帯を背景に全く異なる顔のパンドラを提示する。

水の部族を通して生命力あふれる自然を描いたとすれば、今回は灰が舞う荒涼とした大地を通して、青いパンドラと劇的な対比を成す。これは単なる背景の変化ではなく、自然が持つもう一つの顔を明らかにする装置だ。「我が部族が滅びゆく時、エイワは応えなかった」というヴァランのセリフは、自然が生命を育むと同時に残酷であり得ることを象徴的に示している。

アイデンティティの問題も、作品全体を貫くテーマだ。ロアークは兄の死後、自分が何を守るべき存在なのか悩み、スパイダーは所属すべき場所を見つけられずにさまよう。ジェイクは、人間でありナヴィ族の指導者であるという二重のアイデンティティの中で、絶えず選択を強いられる。『アバター:火と灰』は、アイデンティティは生まれ持ったものではなく、数多くの経験と選択を通して形成されることを反芻させる。

『アバター:火と灰』は、華麗な技術力と壮大なスケールを前面に押し出したブロックバスターでありながら、その中心には家族、喪失、そしてアイデンティティを探求する旅が置かれている。

日本のネットユーザーからは、「映像美に圧倒された」「家族愛のテーマが感動的だった」「次はどうなるのか楽しみ」といった声が寄せられており、作品の世界観とストーリーに高い評価が集まっている。

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